パシェカのズボン

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赤軍に追われ、シベリアを逃げている途中で夫は死亡。独り暮らすハイフルで、住んでいる家を追われそうになっていたのを、クセニアが呼び寄せたのだという。たくさんの人の集まる大きなその家は、クセニアそのものだった。皆が暮らしたハイラルの家はソ連の爆撃のために破壊されたと、クセニアはビクトルに言い続けた。だが、19年、約5年ぶりにハイラルを訪れたビクトルは、そのまま残っている家と再会する。窓は傾き、壁は剥がれ、ボロボロの姿で歯を食いしばるように家は建ち続けていた。なかでは4家族の中国人が暮らしていた。事情を言って入らせてもらったが、ロシアの面影は跡形もなく、全てが雑然とした状態だった。立ち去り際に壁にキスしたビクトルは、10字を切ってしばらくの問、家を眺め続けた。ビジネスに長けた父、仁吉寄る辺のないような人もいっぱいきたよ。そういう人には、こんなにもって思うくらい親身になってやってあげていた。一緒に暮らすタシャおばさんなんか、いちばんいい例だ。黙って通り過、ぎることができなかったんだな。自分もその一人っていう気持ちが強かったんだろうイガリの子守をしていたタシャおばさんは革命前はヴァトカという街に住む大商人の奥さんだった。