フ直前の試合で68キロ級の選手が腰を痛めた。体1975年4月4歳ソ連邦南部その日、ソ連遠征中のビクトル古賀は、黒海東約1キロに位置するマイコ。フという町に入った。ロシアの国技であるサンボの日本選手団を率い、日ソ対抗サンボ国際試合に参加のためである。試合会場となった体育館は観客であふれかえり、グランドピアノの上にも人が乗っかるほどだった。最良の場所はソ連のテレビ局が陣取っていた。サンボは柔道やレスリングと共通点の多い格闘技で、関節技が発達しているのが特徴だが、立ち技は柔道とほとんど同じである。6年代後半から7年代、日本の柔道界はサンボの技術を取り入れるため、一級の柔道選手を何度もソ連遠征に送り出していた。観客は68キロ級に登場するビクトル古賀を待ち続けていた。57キロ級、62キロ級はソ連選手の勝利。いよいよビクトルの名が呼ばれ、マネットの上に姿が現れると、地響きのようなどよめきが会場中に湧き起こった。サンボのメッカと呼ばれるマイコ。フの人々は、ビクトル古賀が4連勝無敗に輝く元チャンピオンであることを知っていた。日本人とロシア人のハフであることも承知していた。そしてこれを最後の試合にすることは、すでに知れ渡っていた。

